フィリップ・ファールバッハ1世(1815-1885)

 フィリップ・ファールバッハ1世は、19世紀半ばのウィーンでヨハン・シュトラウス父子に次ぐ人気を博していた音楽家。現在、彼に関して我々が知ることのできる情報は極めて限られているが、そうした断片的な情報を以下にまとめてみた。

 フィリップ・ファールバッハ(同名の息子と区別するため「父」や「1世」がつけられるが、ここでは以下省略)は、1815年10月25日にウィーン郊外ノイバウの小市民の家に生まれた。父ゲオルグ・レオンハルト・ファールバッハはビュルテンベルク出身で、手袋製造業を営んでいた。フィリップは幼くして兄から音楽の手ほどきを受けるなど、音楽的には恵まれた環境に育っている。アントン、フリードリヒ、ヨーゼフ3人の兄弟は後、全て音楽家となっている。
 ファールバッハは最初にヴァイオリン、次いでフルートと縦笛の演奏をマスターした。5歳半のとき、兄フリードリヒのハープとのデュオで、初めて聴衆の前での演奏を行ったという。水頭種とくる病による特異な外見の「せむしのフィリップ」は、天才少年として人気を博した。その後、ファールバッハは結成して間もないヨハン・シュトラウス1世の楽団に、フルート奏者として雇われる。相当の名手だったのか、1825年入団という音楽事典の記述に従えば、このときわずか10歳だったことになる。
 その後、シュトラウス楽団がウィーンで急速に人気を高めつつあった時期に、ファールバッハは多忙を極めるシュトラウス1世の作曲のアシスタントを務め、ときにはファールバッハ自身の作品がシュトラウス楽団によって演奏されることもあった。後の回想によれば、シュトラウス1世の斡旋でファールバッハがハスリンガーから最初の作品『エレガント・ワルツ』を出版したのは、彼が11歳のときだった。そして1835年、20歳になったファールバッハは、自身の楽団を組織し、現ウィーン7区にあったダンスホール『ツム・シャフ』に出演して独立した活動を始める。こうした経緯は、ランナーのもとで演奏していた頃のシュトラウス1世を彷彿とさせる。ファールバッハはウィーン市内のダンスホールや飲食店での演奏活動のほか、シュトラウス1世と同様に、楽団を引き連れてドイツなど国外への演奏旅行も行った。
 先輩でもある同業者、シュトラウス1世の人気をなかなか越えることができなかったファールバッハだったが、1849年のシュトラウス1世の死により、ようやくウィーンのダンス音楽界の頂点に立つことになる。ときの権力者ゾフィー皇太后のコネにより、1854年まで宮廷での演奏も頻繁に引き受けることになった。その後1850年代以降のヨハン・シュトラウス2世の台頭によって、ファールバッハはやや地味な存在となるが、1885年3月31日にウィーンで没するまで音楽活動を続けている。
 また、彼は1841年に、ウィーン第4連隊「ホッホ・ウント・ドイッチュマイスター」の軍楽隊長となり、優れた手腕で名声を得た。5年後に連隊がウィーンを離れたため、再び民間の楽団指揮者となったが、その後も短期間ながら第14連隊「ヘッセン」を指揮するなど、ファールバッハの生涯において、軍楽隊との関わりは特別なものだったようだ。
 ファールバッハはおよそ400のダンス音楽や行進曲を出版している他、オペラやオペレッタなどの舞台作品、宗教音楽作品も書いている。彼のダンス音楽には、シュトラウス親子のものほど強力な自己主張はないものの、シンプルで自然な旋律美、ウィーン音楽らしい陽気さとウィットに富んだ作品が多い。例えば、カメラータから発売されている、ウィーン・ビーダーマイヤー・ゾリスデンによるファールバッハ親子作品集のCDの中に、1848年の革命の最中に書かれた『猫の音楽』というワルツがある。『猫の音楽』とは革命当時、反革命的な人物の家に夜間大勢の民衆が押しかけ、一斉にフライパンや警笛を鳴らすなどして行った一種の制裁行為だが、このワルツの中にはその様子を猫の鳴き真似や、打楽器で模倣した個所がある。
 ファールバッハが世を去った後、彼の活動は同名の息子フィリップ・ファールバッハ2世(1843-1894)に引き継がれる。ファールバッハ2世も生前には、1878年のパリ万博に出演するなどしてオーストリア内外での名声を博すが、今日ではほとんど忘れられた音楽家となっている。前述のCDに収められた彼のワルツ『ウィーンの心』などからは、シュトラウス2世風の流れるような旋律を持った作風が読み取られる。
 なお父の方のファールバッハは、生前から新聞への寄稿を行っていたほか、1935年に出版された回想記『古きウィーンの思い出』が、今日19世紀ウィーンの娯楽音楽界を知る上での貴重な記録となっている。
(2005年10月1日更新)

〈主な情報源〉
*Norbert Linke, Es musste einem was einfallen: Untersuchugen zur kompositorischen Arbeitsweise der Naturalisten (Tutzing, 1992).
*Frank Miller, Johann Strauss Vater: Der musikalische Magier des Wiener Biedermeier (Eisenburg, 1999).
*Franz Mailer, "Zeitgenessen & Interpreten." Wiener Bonbon Nr.2/2002 (Wien, 2002).
*『ニューグローブ世界音楽大事典』(講談社,1995年)。


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